# 056

オレは愛と憎しみの世界からやってきた

運命が逃げ道である場から

生きている者にとっては死が食料である場から

与えられるものと言えば聞いたことのない送り物だった

オレは橋の隔てる世界からやってきた

化学物質に汚染された河の流れる場から(※1)



オレは公害の近道のような空の場所からやってきた

ブタ箱が唯一の解決策だった

寄付が殺人という場から

若者は聞いたことのない声を上げる

オレは王や大統領の世界からやってきた

証拠隠滅が真実を動かしてしまう場から



魂の自由

月日が流れるに連れ冷めていく

オレはもはや世界でない世界からやってきた



オレは富と貧困の世界からやってきた

肥満と飢え

休日の食卓を盛り付けている一方で子供達は餓死する

オレは子供にとって銃やナイフが玩具のように感じる世界からやってきた

サンタ・クロースを信じろとは教えられるが自分自身を信じろとは決して教わらぬ場
から



オレは健常者と障害者の世界からやってきた

国境を越えることは目前で撃たれることを意味する場から

番兵の目から逃れるには夜が安全な場から

オレは光を与えるためにやってきた

我々はもう共存できないのか

オレは世界からやってきた

オレはもはや世界でない世界からやってきた



オレは200もの異なる夏のために何百万ものマーチや

たくさんのドラマーに合わせて歌を歌う世界からやってきた

貧困と多数派の世界

少数派と後回し

会員専用の女の子だけのクラブ

老人は孤独に死んでゆく

オレは墓が造られていく一方で壁が裂けてゆく、そんな世界からやってきた

世界的な温暖化は警告だ(※2)

最期の日は近い

しかし誰も分からない

あなたが着ているものだけが気づかぬうちにあなたの髪に害を与える

そして大気がオゾン層に穴をあけるだろう(※3)

オレはもうそんなことをしたくはない

あなたが気がかりなのは数字だけだ

オレは世界からやってきた

もはや世界でない世界からやってきた

2.公衆衛生学に関するレポート  

歌詞を全体的にみても公衆衛生学に関係する部分が非常に多かったが、今回は私 自身にとって目に留まった問題についてレポートを書いてみることにした(関係のあ る部分には※印をマークした)。最初に、この歌そのものは、比較的貧しい暮らしを 強いられ、生活の安全があまり保障されていない地域のことをグローバルな視野で 歌っているように感じた。例えば、※1に関してはニューヨークのブルックリン橋の ことを歌っているように感じる。私は音楽に非常に関心が高いので、ヒップホップの 文化について少し自分なりに調べたことがあったが、ブルックリン橋などはハーレム とマンハッタンのちょうど境目のような存在にあるそうだ。巨大な都会と、橋を渡れ ば低所得者の住宅が立ち並ぶ皮肉な現実問題を本で読んだ(もっとも、今はもっと改 善されているとは思うが)。それはきっと、例えば行政の手抜きだとか、人種差別と も取れる誤った考えによって生まれてしまったものだと考えられる。アメリカは裕福 な人だけ医療を受けられるという日本では考えられない話を聞いたことがある。実際 に住んだこともないのでよく分からないが、少なくとも日本に住んで贅沢な医療を受 けている私にはとても想像ができない現実だ。こういった現状からもやはり医療は独 立していてはならず、行政や社会との根強い連帯感が要求されるように感じた。

また※2や※3の部分に関してだが、これは限られた地域だけでなく、もはや世界的 な問題である。

オゾン層破壊や温暖化については既に小学生の頃から少しづつ耳にしていたが、いつ の間にか大問題に発展してしまった。我々の環境への意識の低さが積もりに積もって 悲しい現実を招いている。実際に学校のゴミ箱にものを捨てるときでも、紙くずを捨 てようとしたときにビンや缶などが入っていると、身近な人々の意識の低さも伺えて しまう。ゴミ問題一つとっても、医療界では針刺し事故防止の徹底した対策がなされ ているのに、ゴミ問題はまだまだという気がする。例えば、私の地元島根県では、ゴ ミの分別が非常に厳しく、ごみ袋も分けられている地域もあるほどである。一方、岡 山に来てみるとその分別は非常に曖昧だ。これは一見楽に思えるが非常に悲しく危険 なことだとも感じた。このように地域でバラバラなのもゴミ問題に拍車をかけつつ、 終止符を打てない一つの原因だと思う。日本政府はもっともっとこれらの身近な問題 に力を注ぐべきだ。やはり政府がしっかりしないと、環境問題やそれにまつわる医療 問題(例えばオゾン層破壊による紫外線によって受けた皮膚の疾患など)は平行線をた どるままだと私は思う。政府がだめならば、我々はやはり医療に後々携わる身として も、身近にできるゴミの分別などから始めていくべきであるし、公衆衛生の授業など を通して社会への訴えかけなども必要な時代が来ると感じた。